落書き

 

高尾直樹

 

 少年は小学校から戻ると、カバンを放り投げ、すぐ例の場所に走って行きました。お父さんもお母さんも、毎日仕事で帰りが遅いので、例の場所で夕方まで過ごすのが、少年の日課になっていたのです。

 その場所は、どういう訳か途中で工事が中止になってしまったビルの中にありました。そのビルには屋根がなく、2階の中央に寝転がって上を見ると、まるで空を四角く切り取って、イーゼルにのせたみたいに見えるのです。少年は、粗大ゴミの日に捨ててあったソファーのクッションと、プラスティックでできたミルクのケースで、簡単なベッドを作って、毎日放課後をそこで過ごすのでした。

 少年は、その四角いキャンバスに流れ込んではまた出ていく雲で、空に落書きをしているのでした。落書きをすると言っても、自分で描くのではありません。前に本屋で立ち読みをした、「小学3年生」の5月号の付録のように、雲と空の四角い絵の中に、何がいるのかを当てるのです。よく晴れていて風のない日は、あまり雲が動かないので、ゆっくり考えることが出来るのですが、風の強い日や、雲の多い日は大変です。たった今までソフトクリームだった雲が、次の瞬間には、デパートで見たカブトムシの横顔になっていたりするからです。自分で考えた答えがすべて正解になってしまうこの遊びは、少年にとって学校のどの授業よりも楽しいものでした。つま先に穴が空いたスリッパが、急に肉まんになっても、それはそれで正しいのです。この間は、赤い鳩が巨大なもみじの葉っぱになったし、夕方になると金色や赤い雲は、みんなハンバーガーやフライドチキンに見えてくるのでした。

 少年は落書きをしながら、今日の図画工作の時間を思い出していました。少年が、画用紙一杯に色々な雲を描いていた時に、先生がこう言ったのです。

 「この周りの黒い枠は何かな?そうか窓か」

 (先生はなんにもわかっちゃいないや)

 少年は思いました。

 (ぼくんちの窓からは、向かいのマンションの320ある窓のうちの、41個と半分が見えるだけなのに・・・)

 あのポプラの木のせいで見えない部分があるから、こんな半端な数になってしまうなんてことまで、先生に説明する必要もないので、少年は黙っていました。

 「これだけだと、雲とほんの少しの空だけだね。他に何か描いてごらん。飛行機とか、鳥とか」と、先生はあちこちを指をさしながら言いました。

 (先生は本当に全然わかっちゃいないや)

 少年は、少しイライラしてきながらそう思いました。

 (先生は、この絵のどこに飛行機を描けばいいって思ってるんだろう。右の上のところじゃ、逆立ちしているネコのおでこに大きな傷があるみたいになっちゃうし、左の下に鳥なんか描いちゃったら、その後ろにいる小さいゾウが見えなくなっちゃうじゃないか)

 そもそも少年は飛行機が嫌いでした。もちろん雲の飛行機は別ですけど。本物の方は、いつも空のキャンバスに入って来ては、少年がせっかく考えていたものを違う形にしてしまったり、急に雲を本当にただの雲にしてしまうからでした。まるで人の落書きに割り込んで来て、それをめちゃくちゃにしてしまってからパッと逃げてしまう、5組のあいつのように。

 少年はせっかく昨日の雲の形を思い出そうとしていたのに、先生の一言でわからなくなってしまったことを思い出して、膨れっ面になりました。そんなことを考えていると、キャンバスの左端に先生の顔が出てきました。そしてそのすぐ後ろに、大きな白いカラスが現れました。

 (つっついちゃえ)

 少年はちょっと意地悪にそう思いました。でもキャンバスの真ん中に来る前に、先生は大きなおにぎりになってしまい、カラスは24匹の紋黄蝶になってしまいました。

 (ちぇ)

 そう都合良く行かないのが、この落書きのいいところでもあるのです。

 先生は、おにぎりからハンバーガーになりながら、右端に消えて行きました。カラスも、いつの間にか18個の小さいウィンナーソーセージになっていました。

 そろそろ帰る時間が来たようです。雲がみんな食べ物に見えてきたからです。少年は起き上がり、クッションの位置をなおすと、ビルから走って出ました。空は数え切れないほどのホットドッグでいっぱいです。少年は季節はずれの大きな夏みかんのような太陽に向かって走り出しました。あしたはあのキャンバスに、どんな落書きをしようかと考えながら。

 

1990年11月23日