高尾直樹

 

 「なぁ、にいちゃん、みっちゃんつぎあれのりたい」

 イチゴのかき氷で舌を真っ赤にしながら、美千子はそう言った。

 「そらええけど、ほら、そんなに強う握るから、シロップこぼれて服に付いたやんか」

 大輔はそう言いながら、Gパンのポケットからしわくちゃのハンカチを取り出して、美千子の白いブラウスに付いた真っ赤なシミを拭き取ろうとした。しかし、鮮血のような合成着色料の色は容易にはとれない。拭けば拭くほど、シミが大きくなってしまう。大きな麦藁帽子の陰で、美千子の目が涙で光っているのが見える。大輔は何かにとりつかれたように、純白のブラウスを拭き続けた。日焼けした額には、汗が噴き出している。

 突然、近くの発電所のけたたましいサイレンが、12時になったことを知らせた。大輔は一瞬、発電所がある海岸の方を睨んで、再び美千子のブラウスを拭き始めた。

 

 あと1,2ヶ月

 

 大輔の脳裏には、同じ言葉が渦を巻いていた。

 

 あと1,2ヶ月

 あと1,2ヶ月

 

 「にいちゃん、いたいぃ」

 その言葉で我に返った大輔は、「ゴメン」と言って舌を出した。その舌に頬を伝って滴り落ちた汗は、なぜか妙に塩辛かった。大輔は突然立ち上がると、近くを歩いていた家族が、驚いて振り向くほど大きな声で言った。

 「すっげぇ暑いわ。あれに乗って涼もうや」

 大輔は、ハンカチで顔の汗を拭うと、それを強引にポケットに突っ込んだ。そこには母さんから前借りした2ヶ月分の小遣いが、あと2,800円残っているはずだ。

 (あと3つは乗れんな)

 そう考えながら、大輔は美千子の手をひいて、人混みの中に消えていった。

 

 大輔は何も知らされていなかった。父さんの部屋に呼ばれた時、何か悪いことでもしたのかと思い、自分の記憶をたどるので必死だったほどだ。しかし、ただ事ではないことは、母さんも一緒にいたのですぐにわかった。

 「大ちゃん、落ち着いてよぉ聞きなさいよ。あのね・・・」

 口火を切ったのは母さんだったが、そこから先は声が詰まって何も言えなかった。母さんの唇が小さく震えていた。

 「大輔。美千子がなぁ・・・」

 その先を聞かなくても、父さんの表情ですべてがわかったような気がした。今まで考えもしなかったこと、夢にも思わなかったこと、ありえないこと、あってはいけないこと。掻き消そうにも消えない恐怖感が、大輔の魂を冷たく凍らせた。

 「美千子はあと1,2ヶ月しか・・・」

 「うそや。広崎先生も大丈夫って言ったやんか」

 「昨日検査の結果が出るまでは、みんなそう思うとったんや」

 「あんとき俺が一緒に遊んどったら、あんな発電所のそばで事故にあえへんかったんや・・・」

 「大輔のせいやない。自分を責めたらあかん」

 「そやけど・・・」

 

 「にいちゃん、みっちゃんしんどい」

 「あっそうか、ごめんな」

 大輔は、美千子を木陰のベンチに座らせ、自分もその横に座った。大きな樫の木の上の方で、アブラゼミが死に物狂いで鳴いている。

 「にいちゃん、アメリカン・ドッグたべたいわ」

 「よっしゃ、ちょっとまっとけよ」と言って、大輔は売店へ走って行った。

 美千子は嬉しそうに待っていた。木の葉の間から漏れてくる日の光に照らされて、足をぶらぶらさせながらベンチに座っている美千子の姿は、置き忘れられたフランス人形のようだった。

 「美千子、おまえマスタード嫌いやから、ケチャップだけのんこおてきたったぞ」

 「ありがとぉ」

 「美千子、おまえようこぼすから、こぼさんように気ぃつけぇよ」

 と言う間もなく、ケチャップがイチゴのシミの横に落ちた。大輔はあわててハンカチを取り出すと、拭き取ろうと白いブラウスに手を伸ばした。

 一瞬蝉の声が止んだ。

 そのとき、大輔の手に赤いものが落ちた。

 ケチャップではなかった。

 見上げる大輔の肩に、美千子が崩れるように倒れてきた。

 ある夏の8月6日のことだった。

 

1990年12月14日午前0時15分