A MAPLE TREE

I planted you in my garden in June

You spread many hands under the sun,

Trying to absorb the gift from heaven

Like a small Kwannon sitting in Nehan.

I wonder what you'll see after I'm gone.

Standing on the piled rotten corpses,

Your roots will fill their bullet holes.

Then you'll absorb their blood in autumn, 

And drop red hands to purify their sin.

Then crucify your body in white winter.

But you have to repeat it every year,

Since nobody cares what you do for us.

They don't know why your hands are red.

But I know what your are trying to do.

My withered body will help you grow tall,

And I will meld into your hands and soul.

(c)2000 Naoki Takao (1986)

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高尾直樹

僕は6月に君を庭に植えた

太陽の下で君は沢山の手を広げて

天からの恵みを吸収しとうとしている

まるで涅槃に座っている小さな観音のように

僕がこの世から去ってから君は何を見るのだろう?

積み重なった腐った屍の上に立って

君の根は彼らの弾痕を埋めていくのだろう

そして、秋には彼らの血を吸い取って

彼らの罪を清める為に赤く染まった手を落とすのだろう

そして白い冬には自らを十字架に掛けるのだ

しかし、君はそれを毎年繰り返さなければならない

誰も君が僕たちの為に何をしてくれているのか、気にもしないから

みなはなぜ君の手が赤いのか知らないのだ

でも、僕は君が何をしようとしてるのか知っている

僕の朽ちた体は君が大きく成長するのを助けるだろう

そして僕は君の手や魂にとけ込んでいくんだ


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 この詩も、ありがたいことに、全米の雑誌に掲載されました。なんでやろ。
 
 この詩は、ある時ぼんやり楓の木を見ていた時に思った事がきっかけになって出来ました。「まるで千手観音みたいだな」って思ったのです。そして、木は一般的に長生きで、人間何世代分も生きる事ができるので、きっと色々な人間の歴史を見てきたんだろうな、と思ったわけです。人間の歴史は戦いの歴史です。僕が生まれる前もそうでしたが、僕が死んでからも、悲しいことですが、もしかしたら戦争はなくならないかも知れません。そういう人間の姿を木々は何も言わず、ただじっと見つめて来たに違いありません。でも、ただ見てきたわけではなかったのでは?彼らの言葉にならない訴えがあるのでは?と考えたらどうでしょう?宮崎駿氏の「風の谷のナウシカ」の中で、木々が人間の汚した土を浄化するために体に吸い取った毒を「しょう気」として出し続けるという場面がありましたが、それよりはもっと消極的ではあるものの、僕の詩の中の楓はそうやって僕たちの罪を浄化してくれていたのです。そう考えると実は、花粉症は木々からの忠告プラス攻撃だったりするのかもしれません。
 観音が今度は自らを十字架に掛けるというのは少し変だと感じるかもしれませんが、僕はわざと違う宗教の言葉を使ってみたかったのです。世に起こった、あるいは起こっている大多数の戦争は宗教上・信条上の違いや誤解から生まれています。でも、それぞれの宗教はそれぞれの時代にそれぞれの場所にあった形で生まれた、「いかによりよい人間として生きるか」を説いているものだと思うのです。その中の多くは、言い回しが多少違っていたとしても、共通するものが沢山あります。なぜ人々は表面的な違いではなく、内面的な共通点に目を向けられないのでしょうか?今頃天国では、仏陀やキリストやモハメッドが手をつないで下界を見下ろし、嘆き悲しんでいるんじゃないでしょうか?なぜもっと仲良くやって行けないのでしょうか?それが出来れば苦労はしないと思う人もいるかもしれません。でも、だからこそ、この楓のように毎年同じことを繰り返し、人間の罪を償わなくてはならないのかもしれません。しかしながら、僕はジョン=レノンのイマジンの詩のように、そんな理想を持っているのは僕一人ではないことも知っています。だからこそ、唄い、詩を書き、絵を描き、物語を書いているのかも知れません。何かの形にして、思うことを残したいのです。きっと賛同してしてくれる人達がいることを信じて・・・