高尾直樹
サトルには、皆には言えない宝物があった。
どちらかというと、内気で、運動神経もそんなに良くなくて、算数が大の苦手のサトルにとっては、今やなくてはならないもの。
あれは去年の潮干狩りの時、江ノ島の近くの海岸だった。潮が引いた岩場の間を何げに歩いていた時に、キラキラ光る物を見つけたのだ。サトルは初め、(どうせ大人が捨てた空きカンか何かが光ってるんだろう)と思っていた。でも近くへ行ってよく見ると、それは昔見た海賊ものの映画に出てきた、宝箱に入っているような金色のコインだった。海水に浸かっていたせいなのか、それとも本当に大昔の物なのか、かなり汚れがひどかったが、表には昔のお姫様のような外国人の横顔があって、見たこともないような文字が書かれてあった。裏には、雲の間から太陽の光が何本もの線になって放射状に伸びている夕日の絵が描かれていた。
家に帰ってから百科事典で調べても、近くの骨董品屋に並んでいるどの古コインを見ても、サトルが拾ったのと同じものはなかった。
ますます興味を持ったサトルは、もっとよくこのコインを観察することにした。サトルは初め、表のお姫様のまわりの窪みはただの汚れだと思っていた。でもよく見るとそれは星のように刻んであるのに気が付いた。お姫様の顔のまわりに四個、お姫様の冠に三個。そう、これはオリオン座だ! だとすると、このお姫様はオリオンの恋人か何かに違いない。サトルは慌てて百科事典で「オリオン」を引いてみた。
「ギリシャ神話に出てくる狩人。暁の女神エオスの恋人・・・」
やはりサトルのカンは当たっていた。コインの裏の絵は、夕日じゃなくて暁だったんだ。
「もしかしてこれは、ギリシャの本当に古いコインかもしれない」
「ひょっとして大昔のアトランティス大陸で使われていたコインかも」
「どこか昔のヨーロッパの話に出てくる魔法のコインだったりして・・・」
サトルの頭の中で色々な考えが出てきて、その日は、全然寝付けなかった。
そのコインを見つけてからというもの、サトルには良い事が続いた。それも何故か、そのコインを左のポケットに入れている時に・・・
例えば、サトルの初めての野球の試合に、お父さんが見に来てくれた事。これはいつも忙しくてなかなかお父さんに逢えないサトルにとっては、とっても嬉しかった。しかもいつも練習では空振りばかりだったのに、その日は代打でヒットを打って、打点が二もついた。一塁ベースについてからふと振り返ると、大きな声で「よっしゃ!」と叫びながら、青空に向かってガッツポーズを決めているお父さんを見て、サトルは嬉しくて涙が出そうになった。
この間も、苦手なはずの算数のテストで八十三点もとれて、佐藤先生に「頑張ったな」ってほめられたし、夏休みに九州のおばあちゃんに会いに行くのに、前から乗りたかったプルートレインに乗れた事も嬉しかった。しかも一番上の寝台で寝れた事は、夜中の名古屋駅をこっそり覗き見したのと同じ位楽しかった。
ディズニーランドのシンデレラ城のミステリーツアーでヒーローになれた事も忘れちゃいけない。あれはなりたくったってそう簡単になれるもんじゃない。もちろんその時のメダルも大事にとっといてある。
それもこれもみんなあのコインのおかげ。いつだって左のポケットに入っていたからうまくいったんだ。
でも先週の夜は危なかった。だってサトルは寝る時にまでコインは持ってないから。自分の寝相が悪いのを知っていたから、コインがなくならないように、机の引き出しの奥の宝箱の中へいれておいたのがいけなかった。
何となく目が覚めたサトルの耳に、お父さんとお母さんの話し声が入ってきた。 「いつもデパートの広告を握り締めて寝てるのよ」
サトルが前から欲しがっていたピアノの話だ!
「家中の壁にも『ピアノが欲しい』ってチョークで書くし・・・」
サトルは、怒られなかったから、知らないのかと思っていた。
「といっても相当高価なものだからなぁ。」
このお父さんの一言に、お母さんも心が揺れたように思った瞬間、サトルはこっそり机の引き出しの奥の宝箱を開けてコインをつかむと、パジャマの左のポケットに滑り込ませた。そして息を呑んでお父さんの次の言葉を待った。
「まぁ、でもこんなに安くなるのは滅多にあることじゃないし、少し奮発して買ってやるか。」
やったー!
そう言うわけで、サトルの左のポケットにこのコインが入っている以上、今日のピアノの発表会も成功することになっていた。紺色のベルベットのブレザーにおそろいの半ズボンできめたサトルは、自信を持ってピアノの前に座った。演奏が始まり、流れるようにメロディーが響く。たくさん練習したことも影響しているんだろうけど、あのコインが弾かせてくれているような気がした。と、思ったとたん、一瞬目の前が真っ白になって、次に弾くフレーズを忘れてしまった。十分の一秒が何時間にも感じて、サトルは思わず左手をポケットに入れそうになった。
「でも、ここで左手をはなしたら下の音が・・・」
気が動転して、パニックを起こしそうになったその時、ふと全ての指が目が覚めたように動き出した。まるであの白い一瞬がうそのように、サトルはすらすらと曲を弾き終えた。ひざがガクガクしたが、何とか舞台の下手に戻ることができた。無事に弾けたことをコインに感謝しようと左のポケットに手を入れたが・・・
ない!。
確かに演奏を始める前まではあったのに。
ポケットをよく調べたが、穴が空いているわけでもない。
ピアノの下辺りを見ても何も転がっていない。
どうしよう!
大事なコインが!
「はい皆こっちへ来てね。」
サトルは係りのお姉さんに押されて、楽屋まで戻されてしまった。
どうしよう!
大事なコインが!
どんなにポケットを探してもないものはなかった。
「サトル君、こっちよ」
何が何だか分からないまま、サトルはまた舞台の上にいた。
「銅賞、相沢サトル君!」
え?
ライトを浴びて、花束と小さなトロフィーを渡されたサトルは、やっと我に返った。拍手喝采に混じってお父さんの「よっしゃー!」が聞こえる。そしてサトルはほんの少し大人になったような気がした。
1998年12月